月と太陽

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リリザの門

2.

人はいつ、男や女になるのだろう。
僕の周りで人々は、そんなことを考える間もなく、成長し、子を生し、老いていくように見えた。
全てが単純で美しかった。あっという間に時がすぎ、まるで示し合わせたかのように女は美しく優しく、男は強くたくましく変わっていく。

よほど単純だったのか、適応力があったのか、物心ついて以来男として育てられた僕は、自分をそのようなものとして受け入れていた。
女の子の玩具には目もくれず小動物や虫を愛でる子供で、闊達に、少年として生きて何も不足はなかった。
武術の稽古よりも本が好きではあったが、運動神経の鈍い方ではなかった。程よく背が伸び、長い手足を持て余し気味の僕を「美少年」と愛でるご婦人もいて、幼いながら風雅を気取り、背伸びして詩など送っては喜ばせたこともあったくらいだ。

窮屈さが始まったのは12か13のころだろうか。心と身体がうまくかみ合っていないような、えも言われぬ違和感が膨らみ始めた。

そしてある日、違和感は恐怖に変わった。
乳母が僕をそっと物陰に呼び、一枚の布を手渡して、これで胸をきつく押さえるようにといったのだ。
程なくして下着が血で汚れたとき、僕は泣いた。知識があったので頭ではわかっていたが、感情がついていかなかった。それでも事前に乳母から説明されていて良かった。そうでなければどうなっていたかわからない。そのくらいの衝撃だった。

この世には努力でどうにもならないことがあると思い知った瞬間でもあった。
今から考えると馬鹿な話だが、行い正しくがんばっていればいつか、周りの少年達のようにたくましくなり、声が低くなり、髭がはえ、立派な大人の男に「変身」出来る日が訪れるような気がしていたのだった――その日までは。
僕の身体には欠けているモノがあるのだと知っていても、いくら乳母の説明を聞いても、それまでは実感が伴っていなかった。
周囲が同年代の子供達と僕をあまり接触させないようにしていたことも、思い込みを助長していたのだろう。

人の運命は天が与えるものだという。
人がそれを歪めると必ず報いを受けるとも。
だが、僕に何が出来たというのだろう。生まれたばかりの赤子に選択の余地はなかった。そして皮肉な事に、その歪められた運命があってこそ今の僕がいる。
女性として育っていたら僕は今の僕ではないだろう。こうしてここにもいないだろう。
このすべてを、恨めばいいのか、それとも、感謝するべきなのか。


と、そのとき。 理由もわからないまま追憶から現実へと引き戻された。僕の背に戦慄が走った。

いやな予感。僕はどちらかというとぼんやりしている方なのだが、時々妙に勘がいいのだった。

来る。何かが、こっちに。
全身の神経を集中させて階下の音に耳をこらした。宿の女将の陽気な声、そして…重い軍靴の音。階段を上ってくる。
まさか。

足音は僕の扉の前で止まり、ノックの音が響いた。

「ランド、俺だ。ローレシアのアベルだ。ここにいるのはわかっている。戸を開けてくれ。」


続く


やっと二人目の王子様の登場。
余談ですが、ターハル・ベン=ジェルーンというモロッコ人作家の書いた『砂の子供』という作品が私はとても好きで、このSSを書いてるときよく思い出していました。理由は超単純で、男として育てられた女の子の話だからです(フランス植民地時代のモロッコが舞台)。『砂の子供』のいいのは(著者は精神分析の専門知識も持っているらしいのですが)、そういう境遇に陥った子供の内面や社会的な苦労をまともに描こうとしてるところ。
あと、これは性同一性障害(GID)を扱ったものですが、2000年に日本でも公開されたBoys don't cryのような映画、特に主演の女優さんの役作り苦労話なんかも思い出しました。
…って、このサイトの趣旨とはだいぶ脱線した話ですが。

【追記】今更ですが、誤字脱字があったのに気づき弱冠訂正しました…(2007/11/3)
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