月と太陽

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リリザの門

1.

「ああ…やってらんない。」
リリザ、サマルトリア城の南東に位置する活気あふれる商業の町。酒と女と博打に年中ありつける、眠らない都。
町を囲む城壁の前、僕は立ち尽くした。

 何がいけなかったのかな。生まれ育ったサマルトリアの城を出て十数日、苦労を重ねた末にたどり着いたのは、当初目指していたはずのローラの門とはまるで見当違いの方角にあるリリザの町だった。
 
理由はわかっていた。最初の晩、初めての魔物の襲撃にパニックをおこし逃げまどった末、方角があやふやになっていたのを確かめもせずに、そのまま直進してしまった。そこから既に間違っていたのだ。

僕は武術がさほど得意ではない。魔法が少し出来るつもりでいたが全然甘かった。
わずかな魔物の気配にも怯え、人だか動物だかわからない長い骨の散乱する荒れ地を進みながら、次は自分かもしれないと何度も思った。
それでもなんとかここまで来た。無人の広野や深い森でのたれ死にせずにすんだ自分はむしろ随分と運のいいほうなのだ。
――そう思う事にした。

* * * 

人の良さそうな宿屋のおかみに銅貨を渡すと、軋む厚い木のドアを閉めた。
少し古ぼけてはいるが、こじんまりとして落ちついたいい部屋だ。酒場と商家に挟まれた盛り場の少し窮屈そうな建物の二階にあるため、昼下がりの陽気な賑わいが、開いた窓から聞こえていた。
緊張感がほどけ、ばったり寝台に倒れ込むと、僕は眠りの淵へと沈んでいった。

どのくらい時間が経ったのだろう。
隣の部屋の木戸が閉まる音やくぐもった笑い声に何となく目を覚ました。
窓ごしに入ってくる外気はいつの間にかひやりと冷たくなり、部屋に青い薄闇が横たわっていた。西の空には夕日の名残の紫が残っている。

僕は鳥肌をたてながら窓を閉めると、ふぬけたように寝台に腰掛けた。遠くの民家にともり始めたほのかな灯が優しい色彩を風景に添えている。遠くまできたという実感が胸に迫り、明かりもつけずにぼんやりととりとめもないことを少し考えた。旅立ちの日の情景がふと頭をかすめる。
たった十数日前なのに、もう別世界の出来事のように思われた。

夜明け前に住み慣れた城を後にした。朝もやが煙り、泣きながら見送る乳母と侍女が小さくかすんでいった。見送る人は他に居なかった。彼女達以外の誰にも言わず飛び出してきたからだ。

そう、誰にも。

「まだ生きてる、か。まあ、僕にしては上出来かもな…。」
思わず独りごちてみる。部屋に自分の声が奇妙に甲高く響いて聞こえて、思わず喉に手をあてた。すべらかな感触。大きなため息をつくと、胸がぎりりと締め付けられるのを感じた。きつく巻き付けた布のためだ。

僕は王子だ。周りもそう言い、そのように育てられた。

だが、僕の身体はそうではない。



最初の妃に若くして先立たれること二十数年。妃を愛していた父は重臣達の説得にもかかわらずなかなか次の妻を娶ろうとしなかった。それがついに折れて、亡き王妃の姪に当たる姫との再婚を決意したときにはもう四十路を迎えていた。
親子ほど年の違う夫婦。完璧な政略結婚だ。そして母は程なく身ごもったのだが、歴史は繰り返されるとでも言うのだろうか。決して丈夫ではなかった母は、双子の女児を産むさなか命を落とし帰らぬ人となってしまった。

その日から僕は男になった。
既に男児を持ち政治的野心を隠そうとしなかった弟王子の意図をくじくため、父が赤子の一人―すなわち僕―を男と偽ったのだ。
いうなれば、国中を巻き込んだ一大詐欺。

今から思うと奇妙ではある。
どちらかというと温厚で思慮深い父が何故このように突飛な行動に出たのか、僕にはわからない。当面の危機を回避するためとはいえ、将来に大きな不安要因を抱え込むような真似を、何故。
二度も妃を失った、その心痛に常軌を逸していたのか?

いずれにせよ、母の死が僕に違う人生を与えたのだった。


続く
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