月と太陽

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リリザの門

6.

細い路地を隔てた隣の家の屋根に落下、滑り落ちる。必死に止まろうとしたらうまい具合に、屋根先の寸前でひっかかった。手と膝が擦り剥けて血がにじんでいるが痛さは感じない。勢いのまま、側に突き出ている屋根裏部屋の窓を足がかりに上へとよじ上る。屋根伝いに行けるところまで行こうと思った。

「待て!」
叫ぶ声がした。振り返ると窓から身を乗り出したアベルが僕を見上げている。精悍だが端正な顔立ちが月に白く照らされている。

「わかった。わかったよ!!」
一瞬の沈黙の後にらむような上目遣いで彼は一気に言った。
「俺もムーンブルクに行く!一緒に連れてってやる!!」

反射的に僕も叫び返す。
「その必要は無い!僕は一人で行く!!だいいち、信用できるか!そう言っておいて連れ戻すつもりだろう!」
僕自身がいわば相手の裏をかくような真似をしたわけだから、これは当然の心配だ。

「お前と一緒にするな!俺に二言は無い!誓う!この剣にかけて!!」
ローレシア王家の紋章の入った剣を掲げるのが見えた。
「だから…無茶はするな!」
保護欲?

僕は彼の優しさがいやだった。
一番不愉快だったのは、彼の「優しさ」がうっすらと、自分より弱い者への侮蔑を含んでいるように思えてならなかったことだ。
同じ眼差しをどこかで知っている。あれは――父上。
真綿で首を絞めるような優しさ。
父が子を思うのは当然かもしれない。でも、僕が「本当の男の子」だったらああいう目で僕を見ただろうか。
息子ならば、自分の背負う重い荷物をいつか持ってくれるだろうと父は期待する。だけど娘には、永遠にその日がこないと考えているようにみえた。

永遠に期待されない存在。
本来の姿を隠し続ける事を余儀なくされ、最後には何が本来のものなのかわからなくなってしまった子供。
僕は「男」ではない。そのふりをしているが、一生そうはならない。だけど――――「女」でもないのだ。



アベルの言葉にはかまわず、僕はきびすを返して別の屋根へと飛び移ろうとした。そのとき、彼が叫んだ。

「行くな!俺を追って、お前の叔父の密偵がすぐそこまで来てるんだ。リリザから出れば、どのみち捕まるぞ!!」

思わず立ち止まったが、振り返るまいと思った。だが、彼はなおも続ける。

「どうしてやつらが俺に単独でそんなことをやらせたか、わかるか。たとえ王子の身分は隠していても、神官の身分であちこちの街を移動できるお前には、密偵だって簡単に近づけない。知っての通り、今やリリザの街は厳戒態勢。居住民、高位神官と王侯貴族以外の者には完全封鎖だからな。リリザにいれば当分は安全、そう思ってお前もここに逃げ込んだんだろう?」

確かに、そういう計算も少しはあった。実際には道に迷って成り行きで、という部分が大きかったのだけど…。

「いいか、やつらは王子の身分を持つ俺を泳がせて、俺がお前を手の届く場所までおびき出すのを待ってるんだ!」

僕はついに彼の方へと向き直った。交差する、視線。

「何故だ。」
「は?」
「何故、そんなことを今話す?!」

アベルが、ふっ、と不敵な笑みを浮かべるのが見えた。
「言っただろう。俺の気が変わったからだ。」
「…そんな急に、信じられるものか。」
「ふん、だから一人で行くって言うのか。無理だな!第一、お前の腕じゃ、やつらをまけない。」

確かに。痛いところをつかれ、僕は唇をかんだ。

「だが、お前が俺とくるというのなら、奴らをまいてローラの門まで一緒に行ってやってもいい。いや、約束する。だから、俺と来い!」

青い目が射抜くような力強さで、僕を見据えていた。

あまりにも都合の良すぎる条件。
これは罠か、それとも真意なのか。

月明かりに、王子の握りしめた長剣の紋章が光る。
それは翼を広げた不死鳥。
我が祖先と共に天空を駆け抜けた、あの伝説の―――




その瞬間、


一陣の風が、吹いた。



北から南へと街をすり抜け、草原の遥か彼方へと。
目指していたのは、黒い空と大地の交わる先、満月の照らす地平。




何かが、
僕の中で明滅――――した。


空、海、大地、森、

映像の断片、そしてまた光。

(マブシイ。)

輝き、赤い光……炎?

炎、焼尽、

熱い、

身体が、熱い。
そして、軽くなる。

月の光に、浮遊する。



「アベル!」


叫び。


「剣にかけると言ったな、アベル!」


これは、僕の声?
そうだ。しゃべっているのは、僕。
アベルに、向けて。

でも、
身体の底からわき上がるような、
この力強い響きは―――何?


「その言葉に偽りは無いか!!」

口が勝手に、動く。まるで僕のものではなくなったように。

「覚悟を見せよ!アベル!」

アベルは答えない。
ただ、呆然としたような面持ちで僕を見ている。
先ほど長剣を掲げていた右手をだらりとたらしたまま、およそ彼らしくない表情で。


不思議だ。
恐れも不安も、消えている。

そして現実感が、無い。
月灯りに冴えるローレシア装束の青が夢のように、映る。
体中に力が満ちて熱に浮かされたような心地。
僕はまた、叫ぶ。

「答えよ、アベル!!
満月の地まで僕をいざなうと、母なるルビスに誓うか!!」


弾かれたようにアベルの身体が反応した。
その瞳からいつもの不敵な輝きが消えている。
長剣の床に落ちる音。

そして固く握りしめた右手が、青い上着の胸の前に置かれた。
誓いの形に。

「ルビスの御名において―――。」
張りつめた低い声が静寂に響き渡った。



契約は成立。


頭の中に響いた声は、誰のものだったのか。

「その言葉、しかと聞き届けた。」
そう答えた刹那、世界が歪んだような感覚に教われた。
身体が突然重くなり、思わず、僕は屋根に座り込む。
瓦にかろうじてしがみつく手の震えが、止まらない。
ああ、さっきまでみなぎっていた、あの力が、熱が、逃げて行く。これは、一体。

「…おい!どうした?」

アベルの声が耳の奥で奇妙に反響し、視界が黒くなった。
恐怖が僕を捉える。いけない。気持ちを強く持たなければ……。

だが気がつくと、いつの間にか窓からこちらの屋根に飛び移ってきていたアベルに抱きかかえられていた。全身がひどく汗をかいていて、気持ち悪い。
「…大丈夫だ。」
かろうじて短くそう言い、やんわりと腕をふりほどく。
「ありがとう。恩に着るよ。」
屈辱的な事態以外の何者でもなかったが、それを感じる余裕さえなく、只、礼だけは言わねばならないと思った。
「僕とした事が、うっかり落ちるところだった。」

だが、アベルは真剣な面持ちのまま、いや別に、と短く言った。いつもの毒舌も無い。そしてずっと何かを考え込むような顔をしていた。


* *


屋根の上で少しだけ体力の回復を待って宿の部屋に戻った。

暖かい部屋の中で人心地戻ってくると、あちこちが痛かった。手は擦り傷、身体は打ち身だらけ。いつのまにか口の中も切れていて、鉄錆の味がした。

対してアベルは、あの騒ぎの後でも全然体力の消耗を見せていない。先が思いやられた。だが彼が横をを向いたとき、ふと、ローレシア特有の青を用いた上着の脇腹がざっくりと切れているのが目に入った。一瞬遅れて、最初の攻防戦のとき僕がつけた傷だと気づく。
視線に気づいた彼は苦笑する。
「お前、話にならないくらい弱いけど、結構素早いよな。正直、あのときはちょっと焦った。」
そう言って彼は裂け目に指で軽く触れ、指先が固まりかけの血で赤黒く染まるのをみて顔をしかめる。

なんて答えていいのかわからず、僕はぼんやりと眺めていた。すると王子は懐から手ぬぐいを出して指を拭いその後僕に差し出した。
「お前も口の周りに結構血ィついてるぞ。これでふけよ。」
僕は素直に受け取り、代わりにというのも変だが、唯一まともに使える治癒呪文をかけてやった。すると王子が、おお、と今更な声をあげ、お前、本当に魔法使えるんだな、と随分と失礼なことを口走った。

そしてふと黙ると僕の方をじっと見て、静かに笑った。
「魔女の目だ。」
ぎくりと僕の背中に戦慄が走る。
さっき気を失っていた間、抱きかかえられていたことを思い出した。

だが、彼はすぐに言い直した。
「あ、間違えた、『魔法使いの目』だな。」
弱っちいくせに、人を見透かすような目でみやがる。今だから言うけど、昔は苦手だったんだ――と彼は苦笑した。

いつでも自信ありげな彼がそういう話し方をするのは珍しかった。
どうやら、遠回しに、お前の事を認めてやるぜ、という類いのことを言いたいようで、それは喜ぶべき事なのかもしれなかった。
が……僕の胸は彼の「いい間違い」にまだ早鐘を打っていて、それどころではない。

そういえば、自分の身体の事を知らない同年代の人間と日夜生活を共にするなんて事態、これまで想定もしていなかった。


――場合によってはムーンブルクに着く前に、今度こそ逃げた方がいいのかもな。


満月を愛でつつも、悩ましい思いが駆け巡り始める。
遠くには、リリザの都市を守る城壁と門とが白く輝いていた。





END




【作者後記】

ものすごく、遅くなってしまいましたがようやくこの中編は完結です(汗
途中、放置っぽくなってしまって本当にすみませんでした。

それにしても、なんだか、最初意図していたよりロレ×サマ(しかも生物学的に女子)っぽくなってしまって、イヤ〜ンな感じです(笑

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